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第2回 noon nap nude 1 なぜ図形楽譜なのか
y・前回の対談を読み返してみましたが、私のここでのキャラは苦沙弥先生(※1) であると確信いたしました。 t・ハハハ。そうなると僕は、寒月君(※1)ということはないだろうし、迷亭君(※1)ってことになるんですかねぇ。うーん。 y・まあ、それはそれでいいかな、と(笑い)。さあ、今回は行雲流水について、僕の方から高橋さんにいくつかお聞きしたいと思っています。まずグループを語る上で外せないファクター、"図形楽譜"(※2)について伺いたい。鶏が先か卵が先かという話じゃないですけれど、図形楽譜を使うというアイディアが先にあって、これによって何か音楽的な実践を試みてみようということであったのか、それとも、メンバーの顔ぶれや表現したい音楽の実践可能性を考えた上で、最終的にそこに行き着いたのか。つまりは、"図形楽譜の使用"とは高橋さんにとって、目的であったか、手段にすぎなかったか、ということをお聞きしたいのですが。 t・まず、ずばり答えを言えば、確実に手段でしかありません。今となっては偶然も必然、必然も偶然のようなもので、ちょうどいい方法として図形楽譜というものを使うことで落ち着いてはいるのですが、行雲流水の成り立ちと同時にこういうものの使用を意図していたわけではなく、いつのまにかこうなっちゃったというのが正直なところです。我々のこれまで(※3)を語り出すと長くなり過ぎるので、ちょっと端折っちゃいますが、始めた当初から感じていたのはもっとここ(行雲流水を実践すること)には何かが広がっていく可能性はある、だとしたら図形楽譜のようなものを使うことにも意味があるのではないだろうか、とは常に考えておりました。 y・それは、音楽的な可能性の広がりということですか? t・そうです。それと、この行雲流水という活動をやっていくことで、いつどんな人と出会うかもわからない(※4)、そういう出会いの可能性も含んでいます。基本的には演奏の指示に図形楽譜を使ってる、で構わないんですが、そもそも、何か一つの目的を持って音楽というものをやろうするとき、当初も僕がリーダーであるということは明確化されていなかったのですけれど、どこまで自由にメンバーにやらせて、どこまで好きにそれぞれが持ち寄った音楽的なもの(スタイル、解釈、テクニックなど)を出してもらうべきなのか、いやそれとも、僕が持ち込んだものを確実にこなしてもらうべきものなのか。音楽をやる段に含まれているであろうこれら二つの側面に関しては、正直言って、全然、未だに、どちらがいいのかはわかりません。こういう自分自身の曖昧さを表現するには都合が良いと思っているから図形楽譜というものになったということも大いにありますね。 y・ほう。 t・では、なぜ、こうなっちゃったかというのをあらためて考えてみますと、やっぱりいろんな要素が絡んではいるのですが、大きくはとても個人的な問題として、作曲という一つの概念、曲という形あるものを誰かが作りそれに向かって演奏者と言われる人々が奏でるという一つの方法と、即興と言われる 、もちろんここには様々な含みや議論の余地はありますが、作曲と対比して考えられる演奏者ありきの方法、このどちらも単純には取りたくないなというのがずっと頭にあったので...。最初っからですね。 y・もうちょっとシンプルに伺います。普通、こういう音楽がやりたいから、その演奏に最適なメンバーを選ぶ、だとか、グループ結成までには音楽に基づく単純な動機というものがあるでしょ。どんな音楽がやりたかったんですか? t・残念ながら、というか、やりたい種類の音楽というのは全く無かったんですね。それは未だに。目標や憧れをもってこんな音楽を作りたいというのも全く無くて。変な話といいますか、いろいろな人が集まったらそこでどんな音楽が出来るかということにしか、ほぼ興味がありません。こんなふうになったら...という将来的な目標とか、憧れとかいったものは本当に無いまま始め、無いまま今に至っていて、どっちに転ぶかわからないということだけが唯一楽しみのようなものということだけはすごくあるんです。多分こういった明確な音楽のスタイルを考えていないということもグラフィカルなスコアを使うということにつながるのだと思います。実際、その図形楽譜という形をしたある音楽のアイディアは、皆に放ってみたそばから自分でもびっくりするぐらい毎回演奏するたびにどんどん形が変わるし、そして変えちゃうんです。こういったことからも、やはりそこに書かれていることが目的ではないということと、グラフィカルゆえにそういったことが起こりやすいし、その変化をねらってるということが分かっていただけると思います。 y・そのスコアを変えるというのは、音楽が気に入らないから変えるのか... t・いえ、気に入らないからというより、いろいろな意味でスムースになるだろう、変えた方がより楽しめるだろうという原理に従ってやっている気はしますね。 y・ちょっと突っ込みますけど、その楽しむというのは、音楽そのものを楽しむのか、それとも音楽の問題を度外視して、スコアで表されたゲームのルールを楽しむのか... t・そうですね、後者に近いというか、ほぼ後者ですね。具体的に言うと、アイディアは高橋という人間が持っていく。メンバーはリハーサルの現場で初めて、それが目に見える形となっているグラフィックスコアというものを見る。つまり自分以外の者は皆、いつでも初見の状態で、そこから解釈を始めます。そういった状況下で実践しているので、常に自分の予期したことばかりが起きるわけではないのです。 y・何かを予期はしているんですね。 t・こんな(音楽的な)形になるであろう、ぐらいは予期しています。 y・それは、音の現象を予期するということですね。 t・そうです。でも、思った通りにはならないんですよ。最近だと皆の解釈や演奏がスムーズになって、スッと入っていっちゃうんですけど、最初の頃はグラフィックスコア自体の表現が上手く出来ていないから単純な誤解も多くて、完全に間違えられてとらえられたりなどもありました。しかし、それ以外のゆるやかな解釈が可能な、曲のテンポや構成などについてはその場のひらめきで、皆が自分の予期せぬ面白い思いつきをかえってよく口にしてくれるんです。それをそこですぐに修正するのはさすがに間に合わないのですが、その時にメンバーが投げてくれたアイディアは、ちゃんと取っておいて次回に回すようにはしています。そういう方法をとることで曲が進化しているのかどうかはよく分かりませんが、常に変化をしていく可能性が生まれます。ある一定の形に落ち着くものもあるし、そのまま雲散霧消していくものもあります。また、ずっと形を変え続けていくものも。けっきょく最終的に曲がどういう運命を辿るのかは全く想像できないしそれほど興味がありません。ただ行く先にこだわらない分、毎回何かしらの新しいアイディアは持っていくということだけは自分の役割と考えているんです。つまり音の現象は予期していてもハズれ(し)てしまいますから、作曲者的な視点みたいなものは最初から(そして、もうすでに)持ち合わせていないんだなと思います。 y・うーん。それは、そうなんだ、とはっきり納得できないところもあるんですけれど...。 t・ハハハ。 1 >> 2 >> 3 >> 4 |